ブランク5年、応募せずにITへ戻った:個人開発をSNSで見た会社から声がかかった
「38ですか、厳しいですね」。昔SEだった人が「戻れるか」と聞いた知恵袋の質問には、こんな答えがついていました。5年も離れたら浦島太郎で、戻れたとしても未経験に近い扱いになるのでは。そう思いながら検索していると、出てくるのは知人の話か一般論ばかりで、本人の話がなかなか見つかりませんよね。
私は大学を出てネットワークエンジニアを6年やり、そのあと整体師を5年やりました。ITに戻ったのは39歳のときです。今は43歳で、受託開発のPMをしていて、年収は600万円です。
先に答えの芯を書いておきます。私の場合、戻る入口は学び直しでも応募書類でもありませんでした。趣味で作ってSNSに出していたアプリを見ていた会社から、SNSでオファーが来たんです。自分では1社も応募していません。
では、応募もしていない私に、なぜ声がかかったのか。その理由は、声をかけてくれた会社が教えてくれました。
整体の収入より、妻の給料のほうが多かった
戻ろうと思ったきっかけは、お金と家のことでした。
整体の収入は少なくて、妻の給料のほうが多かったんです。その妻が、仕事のストレスで「辞めたい」と言っていました。
異業種の給料では暮らしが厳しい、というのが戻りたい理由の人は多いと思います。私もまさにそれでした。
趣味で作っていた、ブロックチェーンのアプリ
整体師をしていた5年も、ITから完全に離れていたわけではありません。個人で、WordPressで記事を書いたり、簡単なゲームやネイティブアプリを作ったりを、ずっと続けていました。収益の柱を増やしたかったのと、何かを作ること自体が好きだったからです。
そのころ作っていたのが、ブロックチェーンを使ったアプリです。
ブロックチェーンの技術を触るのは初めてで、分からないことだらけです。コミュニティでいろいろ質問しながら作り、できたものはSNSに出していました。
あくまで趣味です。オファーが来たのも、たまたまタイミングがよかっただけでした。
「質問のやり取りを見て、人となりが分かった」
声をかけてくれた会社からは、こう言われました。作ったアプリだけでなく、コミュニティでの質問のやり取りなどを見て、人となりも分かったので声をかけた、と。
初めての技術で、分からないことを人に聞いていた。そのやり取りが、外から見える場所に残っていたわけです。
オファーが届いたときは、絶好のチャンスだなと思いました。
ブランクのある人がいちばん怖いのは、書類の上で「5年の空白」としか見てもらえないことだと思います。私の場合は、書類より先に、今まさに手を動かしていて、分からないことを人に聞きながら進めている姿を見てもらえていました。
決め手は、リモートと「二人分より多い月収」
オファーを受けるかどうかの決め手は、2つでした。
1つは、リモートで働けること。もう1つは、月収が、妻の給与と私の給与を足したより多いこと。この条件を出して、受けてもらえました。
妻が辞めたいと言っている。整体の収入は妻より少ない。しかも娘はまだ1歳くらいで、手がかかるころでした。だから、二人分を一人で超えられるかどうかが、私にとっての線でした。リモートは今も変わらず大事で、共働きで子どもの送り迎えがあるので、ここが崩れると困ります。
戻ったときの年収は、550万円くらいでした。
妻はその後、娘が2歳くらいのころに次の仕事の勉強を始めて、3歳くらいから週3日ほど働いています。本人もやりたい仕事で、家にずっといるより、社会とつながっている実感があるほうがいいようです。
戻ってすぐ、テストコードで戸惑った
条件は通っても、仕事がすぐにできたわけではありません。
ネットワークエンジニアもITの仕事でしたが、アプリ開発を仕事でするのは初めてでした。特に困ったのがテストコードです。個人開発ではテストコードを書く文化がなかったので、最初は戸惑いました。
当時の私は、フロントエンドとバックエンドの違いも分かっていませんでした。フロントエンドは、テストコードをあまり書かない文化です。ところがあるとき、ほかの人が開発していたバックエンドに、一人で手を入れることになりました。テストコードが足りず、CIで止められた。いちばん戸惑ったのは、あのときです。
「ITの経験がある」と「その仕事の経験がある」は、別物でした。ブランクで技術が古くなっていたというより、そもそも経験していない領域だった、というほうが近いかな。
勉強し直しは、しなかった
戻る前に何を学び直せばいいか。ここがいちばん気になっている人もいると思います。私の答えは、少し肩すかしかもしれません。特段の勉強はしていません。
最初は開発から入りました。業務の後も、自主的に仕事の開発を続けました。仕事に必要な技術を、その都度学んで実践する。それを繰り返しただけです。
体系立てて学び直してから戻ったわけではなく、戻ってから、目の前の仕事に要るものを順に覚えていった、という形でした。
整体師の5年は、面談では話のネタだった
異業種の経歴は評価されないのでは、という不安もあると思います。
入社は、オンラインの面談だけで決まりました。その面談で、整体師の5年は話のネタにはなりました。でも、それ以上でも以下でもなかったです。詳しくは聞かれず、聞かれたのは個人開発のことと、入ったらやりたいことでした。
ただ、入社してからは効いた場面がありました。人を観察する習慣があったのでコミュニケーションに困らなかったことと、複数のベッドで同時に施術していた経験が、複数のタスクに優先度をつけて回すのに生きたことです。
では、整体の5年は、本当に開発やPMの仕事に役立つのか。
整体師の5年はエンジニアの仕事に生きたか:人を見る癖と、同時に何台も回す癖
整体師の5年はエンジニアの仕事に生きたか。39歳でITに戻ったPMの実例です。面接では話のネタで終わりましたが、入社後は人を観察する癖と、複数のベッドを同時に回す癖が、コミュニケーションと掛け持ちの優先度づけに生きました。
PMと開発を同時に、年収600万円まで
戻ってから約4年になります。PMは最初からでした。顧客の対応をするPMと、開発を同時にやるところから始まっています。案件の規模は100万〜5,000万円で、チームは1〜10人ほど。社内のメンバーと協力会社の人をまとめています。
戻ったときの550万円くらいから、今は600万円です。相場が分からないので、高いか低いかは何とも言えません。ただ、満足はしています。家庭があるので、ここから下げてもいいとは思えません。
では、この600万円は、案件の規模や人数と並べるとどのあたりなのか。
受託PMの年収600万円は妥当か:案件規模・人数・残業で位置を確かめる
受託PMの年収600万円は妥当なのか。43歳で受託のPMをしている運営者が、300万〜5,000万円の4件の案件を表にして、案件の金額・関わる人の数・記録に出ない残業の3つから、自分の位置を確かめた記録です。
長所
- 自分で応募をしていないので、書類の空白を説明する場面がなかった
- リモートと月収の条件を、こちらから出して受けてもらえた
- 作ったものと質問のやり取りで、人となりを先に見てもらえていた
短所
- アプリ開発は初めてで、テストコードを書く文化に最初は戸惑った
- 学び直しをしなかった分、業務の後も自主的に開発して追いついた
- オファーはたまたまのタイミングで、狙って再現できる道ではない
よかった3つは、どれもオファーで入ったことから来ていました。困ったことのうち2つは、入ってからの仕事の中の話です。
応募して戻る話は、私には書けない
ここまで読んで、「結局、応募しないで戻れた運のいい人の話か」と思った人もいるかもしれません。そう思われても仕方ないと思います。
私は戻るときに転職活動をしていません。オファーは1社だけで、オンラインの面談だけで決まりました。応募も書類選考も経験していないんです。なので、年齢で書類が落ちるかどうかには、私の体験からは答えられません。
答えられるのは、5年離れていても、手を動かしているところが外から見えていれば、そこを見て声をかけてくる会社があった、ということだけです。私の場合、それは39歳のときで、初めて触る技術を人に聞きながら作っていた時期でした。
整体の収入が妻より少なくて、妻が辞めたいと言っていた。あのときの私は、戻るために何かを準備していたわけではありません。趣味で作って、分からないことを聞いて、それを外に出していただけです。ブランクがあって戻りたいと思っている人がいま手元に作りかけのものを持っているなら、それを人に見える所に置いてみるのも、1つの入口になるかもしれません。
これは私1人の例で、戻ったのは4年ほど前なので、求人の状況も今とは違います。それでも、戻った本人の話が見つからなくて困っている人の、判断の材料の1つになればうれしいです。